大切なご先祖供養について、著書より紹介いたします。
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1なぜ、お経をあげるか
  お経は、それを唱えるだけ'で功徳があるとされている。お経の深い意味を解することはできなくても、すでにその言葉には力が備わっているわけである。
  そこで、お経を読むということについで考えてみよう。お経を読むということは、まず言葉を発するということである。そして、これは祈りの言葉であるということである。仏教では、言葉というものを大変重視する。言葉には力があると信じられている。どういうカかというと、言葉でもって人を生かすこともできるし、言葉でもって人を殺すこともできるというわけである。一言の言葉が、その言葉を受け取った人の心を動かし感動や涙ややる気をおこさせるし、逆に、不用意な一言の言葉によって意気消沈し、絶望を覚えることもあるのである。
  そこで、誰しも言葉というものは慎重に選んで発するベきであるが、お経というこの言葉はいずれも聖なる言葉であり、祈りの言葉であり、仏様がこれを受け取られた時に喜ばれる言葉なのである。たいていの人は、お経というと何かなんだかわからないし、人によって退屈至極だという人もある。法要の時など、早く終わらないかと、足のしびればかり気になって、時忙は苦痛に聞こえる場合もあるわけである。
  ところが、お経に書かれていることは、説話であったり、崇高な哲理であったり、比喩であったり、物語であったりするが、そこに説かれていることはおしなベて、仏教でいうところの智慧というものである。そして,その内容は、人をして良き方向に向かわせしめる言葉が並べられているわけである。だから、意味がわからなくても、これを仏様に向かって発するといろことは、カある祈りの言葉を発していることになる。
  言葉というものは目にも見えず、形もないので、とかくなんの力もないように考えがちであるが、その発せられた言葉を相手が受け取れぱ、その時点からカの作用が始まるわけである。励ましの言葉やほめ言葉も、その言葉は、それを受け取った瞬間からカを発するのである。こういうと、それは意味がわかっての土のことだという人があるが、概端な場合、言葉を発する人が意味がわからなくても、その受け取る相手がそれを解すれば、力となって働くわけである。
  例えば、外国を訪れた時、その言葉の内容も知らずに外国語を教えてもらったとしよう。ところが、外国の人はその自国語の言葉を耳にし受け取った時に、それを理解し心が動くのである。その言葉が「本当にありがとう」という言葉であったとしよう。意味がわからず発しても、相手の人にはその意味が通ずるわけである。相手は、本当に感謝してくれたのだな、と心が和み、嬉しくなるのである。
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