大切なご先祖供養について、著書より紹介いたします。
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5 遺徳をたたえる


  弔辞というものは、読む者の心を披涯するわけであるが、その中に故人の遺徳をたたえることを忘れてはならない。ただ悲しい、寂しいというだけでなく、故人が歩んだ人生の中でどのようなことがあったか、読む者からみてどのような尊敬に値することがあったか、故人の業績はどのようなものであったか、これらを再碓認し、そして正確に申し述ベることが必要である。
  次に、冥福を祈るということである。冥福を祈る言葉の表現は多々あるが、弔辞自休の意味が、故人の魂をめ、冥福、即ち祈りを捧げるところに意義があるのであるから。この一文を欠かすことはできない。そして最後に、よく読み方を練習しておくということである。大勢の参芸者中で読むわけであるから、書かれたものを読むといっても、あがることもあるし、特に故人との関係が親しい場合には絶句することもしばしば見受けられる。涙や感情のために弔辞の朗読か時折りいきづまっても当然と思われるが、文章の読み違いやたどたどしい読み方では、弔辞の内容を著しく阻害する。よくあることだが、自分の秘書や他人に頼んで書いてもらった弔辞を読む場合である。読みなれない文字のためにつかえたり読に違えたり、見苦しいことが時々見受けられる。自分で書いた文章であっても、十分事前に練習しておくことが大切である。全体的について、弔辞は早口ではなく、ゆっくりとした調子で、心をこめて悲しい調子で読むことが大切である。悲しみの雰囲気にそぐわない弔辞は、むしろ迷惑というものである。労働組合の幹部であったのか、あたかも決議文を読むような弔辞にお目にかかったことがあるが、まことに奇異な感じを受けたものである。
  次に喪主の挨拶の例を書いてみよう。
  ・通夜の挨拶
  「本日はご多用にもかかわりませず、まだお足元の悪いところを、故人のためにわざわざおこしを賜り、お焼香をいただき、厚く御礼を申し上げます。故人も皆様にお参りを願って、さぞかし喜んでいてくれることと思います。何分、とりこんでおりますので、おかまいはできませんが、どうぞ、粗菜などを召し上りながら、故人のありし日をお聞かせいただきたいと存じます」
  ・山棺の時の挨拶(この挨拶は喪主または遺族の代表が行なうことになっているが、最近では、それに代わって、葬儀社の係の者が扶拶をする場合がある)
  「遺族一同に代わりまして、喪主として一言、御挨拶を申し上げます。本日は皆様ご多用にもかかわりませず、故〇〇の葬儀のためにわざわざご会葬賜り、また、最後のお見送りをいただき、まことにありがとうございます。故人も、草葉の陰でさぞかし、皆様の厚情に感謝していることと存じます。ちょうど三年ほど前に発病致しまして、入院も数回に及び今日に至ったわけでありますが、その間、皆々様にはたびたぴお見舞を願ったり、励ましのお言葉を頂戴したり、お世話になったことと存じます。薬石効なくその生涯を閉じましたが、これも天の定めと思っております。今となってみれば、ああしてやればよかった、こうしてやればよかったと思うばかりですが、それも叶わなくなりました。残された家族一同、まだまだ年も若く.経験も浅い者たちでございます。故人にお寄せいただきましたご厚情と同様、今後残された者たちにも、どうか相変わりませぬご厚誼とご出指導を賜りますよう、幾重にもお願い申し上げます。
  お陰きまで、とどこおりなく葬儀、並びに告別式を相済すことができました。心よりお礼を申し上げ、ご挨拶と致したいと存じます。本日は、本当にありがとうございました」
  次に、お悔みの言葉であるが、葬儀参列の際に遺族に対してお悔みを申し述ぺる時は、できるだけ短い方がよい。よけいなことをいう必要もない。ただ涙するだけでその意は十分に通ずるものであるが、問題は、立派な言葉より、心のこもった言葉を投げかけるということである。よけいなことをいわないためにただロをモグモグ動かして礼をするだけでもお悔みの言葉になる、という人がいるが、まさにその通りである。長々と故人を偲ぶ言葉を述ベたり、よけい悲しみを誘うような挨拶をされては、そうでなくても心が動転しているのであるから、遺族にとってはかえって迷惑である。会葬者は、相手の立場になってお悔みの言葉を申し述べることである。
  なお、弔電とかお悔みの手紙を出す場合には、これまた、簡単でわかりやすく、心のこもったものがよい。


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