1お寺(檀那寺)と家
寺というものを規定すると、伽藍、精舎ともいえる。仏像を安置し、僧侶や尼僧が居住して
仏道を修し、これらを檀信徒に説く所をいう。
この語源は、その存在が美しく荘厳であるところから出たともいい、礼拝をする所という朝鮮語からの転化であるとも、また、パーリー語の,長老″という意味から出たともいわれている。ところで最近は、核家族化によって、自分の家の菩提寺、檀那寺というものがない人も多い。しかし、本家というものは何らかの形で寺、即ち壇那寺に属し、仏事を営んでいるのが現状である。
檀那とは、他の人に物を施すこと、あるいは施す人のことをいうわけで、その施主たるもの
を檀越ともいう。だから、寺院を維持するものを壇家といい、それに対して檀那寺があろわけである。檀家の
ことを壇徒ともいう。
ところで、慶長十八年(一六一三年)、徳川幕府がキリシタン禁止令を公布し、次いで宗門改めを行なった。宗門改めとは、老若列女、職業、階級に関係なく、総ての住民はいずれかの寺院に仏教徒として登録することを強制され、容易に改宗が認められなかったものである。寺院も、本山と末寺の関係を厳格に定め、社寺奉行において、これを厳重に監督したわけである。
また、寺論証文、いってみれば宗旨手形であるが.これを発行し、壇家たることを証明したわけである。結婚するにも、旅行など移動する時も、この証文を携帯しなければならなかったのである。
現在は、憲法上、信教の自由が認められ、どの寺に属そうと、どの宗派に属そうと、それを云々されるものではないが、現実の問題として、寺と家とのつながりは今なお深い関係をもち、葬儀、仏事においても、自由勝手にすると、いろいろな面で支障を来すことになる。
例えば、先祖の月参りをはじめ、戒名の問題、中陰法要、月忌法要、年忌法要と、最初にある宗派の寺院がそれを行ない、その後、他の寺に依頼するとあまり歓迎されないし、寺自体も先の寺に対して遠慮し、結局、檀家が困る事態を招くことになる。
特に檀那寺と檀家との間においては、代々継承され、その檀家を代表する人間を檀家総代と称し、檀那寺の維持運営にも参画する立場にいる場合が多い。
寺自体に経済力がある場合には、檀家ヘの依存度が低いから、壇家の発言カもそう強くないが、経済的側面を壇家に依存するような寺においては壇家の発言力も大きく、時には住職を凌駕するような場合も起きるわけである。
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