大切なご先祖供養について、著書より紹介いたします。
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4弔辞・挨拶・お悔みの言葉


  忌事の挨拶というものは難しいものである。特に故人と親しい関係にある場合、想い出などが去来し、弔辞などを読み上げる時涙がこみあげてきて、言葉にならない場合もある。このようなことから、弔辞はむろん、お悔みの言葉、また挨拶なども、慎電にすべきである。とりわけ、遺族は肉親を失って心をいためているから、慰めの言葉や励ましの言葉についても、心していうことが必要である。
  ある葬儀に参加した時のことであるが、喪主たるその家の長男が厳かに会葬者にお礼を申し述べたのはよかったが、その会葬者が多いところから、「故人と生前こ交証を願ったこれだけの多くの方にご会葬願って...」といえばよかったのであるが、「にぎにぎしく御参集を願って...」といってしまったのである。喪主のいわんとしていることは会葬者も十分心得、その意は理解しているのであるが、にぎにぎしく御参集という言葉は、忌事、即ち葬儀などに使う言葉ではなく、慶事に用いる言葉である。
  さすがに、この席上ではその言葉をいましめる人はいなかったが、散会してから口々に「にぎにぎしくとは驚いた」というようなことをいい合っているのを耳にした。
  なお、会葬者、参列者として心がけねばならないことは、弔事において不行届きがあっても、その非を鳴らすべきではないということである。故人の死は予期できるものではないし、たとえ危篤状態に陥っていてもなお望みをもち、死後の準備をしようという気持にもならないものである。よく覚悟をしても、死というものは突然訪れるものであるから、種々の進行具合が不備なことは当然である。もしこれらを指摘して非を鳴らす者がいるならぱ、これは非常識であり、失礼といっても過言ではない。慶び事、例えば結婚式などあらかじめ用意できるものにおいて準備が不行届きであるということは、これは心配りが足りなかったということで、非難を受けても致し方ない。
  さて、弔辞の作り方であるが、まず第一に、故人との関係を述ベることである。弔辞を読むにあたり、その読む本人が故人とどのような関係にあったかを明確にすることである。参会者は、その数が多くなればなるほど、弔辞を読む人と故人との関係がわからないのが通常である。関係を明らかにしたならば、次に故人の経歴を織り込むことも必要である。同窓という立場であるならば学校時代の思い出や成績を、会社の同僚や上司の場合は、会社での活躍の模様などを織り込むのもよい。これらを明らかにすることによって、故人のイメージも鮮明になる。次に、弔辞というものは心情に訴えるものである。これは読む者の心を故人に伝えるとともに、会葬者にも披歴するという二つの働きがある。それ故に、心のこもらない、感情の移入が行なわれない弔辞というものは、無味乾燥となってしまう。アナウンサーがニュースを読むような感じでは、シラケてしまう。弔辞を読む人と故人とは当然のこととして深い関係にあるわけだから、心情は当然文中にも反映されると思うが、その文体はむろんのこと、心をこめて読むということとが何よりも肝要である.
  次に大切なことは、文調に配慮することである。最近、国語カの低下によって、一般的に表現カが乏しくなった。文語文と口語文が一緒になったり、流行語を並べてみたり、表現を間違えたりすることもしばしばである。流行硝胴は、たいていの場合、軽薄な印象を与えるから注意をしたい。また、弔辞というものは厳粛であることが必要であるから、企体の文の流れは無論のこと.表輿の言葉にも注意する必要がある。また、漢文調になったり現代調になったり、混合しないことである。使用する語句も、それなりに平均化される必要がある。全く平易な言葉で始まった弔文が、途中で急に難しい言葉の羅列になると、まことに奇異な感じを受ける。また、これら弔文に限らず、人体において、挨拶、手紙、講演、文章といったものは最初と最後が肝要であるから、始まりの言葉と締めくくりの言葉を十分考慮する必要がある。


  
                                    

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