大切なご先祖供養について、著書より紹介いたします。
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  現今はいずれの寺院も法人格を有し、責任役員といら役員でもってこれを構成し、その代表を住職と称しているが、その責任役員に檀信徒の代表、いわゆる俗人が名を運ねている場合も多い。
  このように、古くから寺と住職という単位で受け継がれてきたために、個人の信仰というよりは家ぐるみの、先祖から継承された宗旨、宗派に檀家は属するという形になり、個人の信ずる宗教と家の宗教とが異なるという場合も起きる。
  家を出た者は、本家の宗旨、宗派すら知らず、分家をした者の中に死人が出てあわてて本家に問い合わせ、その宗派の僧侶を招請するというようなことも、しばしば起きている。
  元来、祖先の供養、祖先崇拝の座は家にある。家父長的な家制度は、鎌倉期の武家社会において発生したと見られるが、江戸期に至ってこれが発達し、宗教統制によって強化されたといってよい。
  また、キリシタン禁制に伴って、信教の自由、個人の意思というものが無視され、家単位に統制されたということである。
  現今、急速に大家族主義が崩壊し核家族化が進行するとともに、各地が都市化されるに至って、これら江戸期よりの制度もかげり始めていることは事実である。また檀家においても、税制上の問題から、かつてのような自由なる資力を有さず、大きな普請など寺が行なう場合、非常な負担となっていることも事実である。また、寺に布施をするという、その基本的概念が薄れてしまって、かつてはこの布施行為が慶び事であったのが、今では苦痛、負担となっていることも見逃せない。かつて、これらの布施行にあって、寺側としては、それに応えるものとして、真剣な布教がなされた。仏法を熱心に説いたわけである。そして檀信徒この教えでもって心救われ、その代償として、寺の維持発展のために財施をしたわけである。しかし昨今、法を説くということが忘れられ、葬儀、法会というものに象徴される儀式が仏教化したために、仏教はその教理の本質の輝きを失い、世にいう,葬式仏教'に堕してしまったのである。
  元来、寺としての機能は法を説くことであり、心の救済所であったのに、今では儀式を司どることに終始している傾向がある。寺はじめ、僧侶のあり方についても再考を要する時期ではなかろうか。
  また、宗教法人法と占いう法律によって、公益法人格をもった寺院は税制の面でも優遇されているが、これを生きた形で活用するならまだしも、収益性を追求するようになっては、固定資産税等、課税対象となることは十分考えられる。
  公益性を有し、仏法を説くベき寺院において、拝観料という名目で入場料をとったり、参拝するべき境内を見物の対象として通行料に等しい入山料をとるということなどは、寺自体がその本質を自ら放棄したことになる。由緒ある宝物のある寺院において、これを観光客に供するために拝観料をとるということは太政官布告によって決められているから、一種の博物館を観ると考えれぱそう奇異なことではないが、一山をもって見物の対象とし、入山料という名目で金を徴収する時、寺本来の尊厳を失ったものと考えざるを得ない。
境内、寺域というものは明らかに信仰の対象であり、諸仏がまつられる諸堂も、これまた信仰の対象てある。もし塔頭寺院において庭や宝物があれば個々の寺で拝観料をとればいいわけて、これをまとめた形で金銭を収授するというとは、僧侶の怠慢であり堕蕗である。寺としての機能を失い、信仰を放棄したといっても過言ではない。
  壇那寺と壇家の関係、寺と信仰の関係、寺本来の姿勢、檀信徒の心構え等々、二十一世紀を迎えるにあたって、再考、猛省することが山積しているといえよう。


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