大切なご先祖供養について、著書より紹介いたします。
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2自分でする先祖供養
  

 先祖供養というものは、基本的に自分がするものである。なぜなら、先祖といえぱ己の父であり母であり、おじいさんでありおばあさんであり、総て血のつながった血縁であるからである。ただ、先の項でも述ベたに、これら先祖供養がなお叶った形で行なわれるように、専門家たる僧侶等に依頼する上わけである。
  ところで、先祖供養する場合にまず大切なことは、その忌日を知るということである。そして、巡り巡って来るその日を大切にするということである。むろん、毎日仏壇に向かって拝むということもすばらしい供養であり、墓参りをするというとともまことに結構なことである。しかし、とかく人間というものは惰性に流されやすいので、忌日という句読点を鮮明にし、先祖に対する認識をその都度新たにすることが大切である。供養ということについでは各項で様々な形で述へたが、まず家でする場合、お灯明とお線香、お水とお花とお供え物、これらは用意したいものである。墓参りの時にも、これらを携えて参りたいものである。手を合わすだけでもよいが、数珠も忘れず'に用意したいものである。そして、心から祈ることである。
  筆者は、新成人の諸君だとか新入社員に向かって、よくこういうことをいう。「諸君は成人に達し、また、新しい会社に入りて大人としての自覚に目覚めるとともに、未知なる未来に対して不安をもっているだろう。そして、今まで経験しなかった様々な事象に出会うに違いない。世の中というものを知った時、自分の力ではどうにもならない、複雑な人間関係にも出会すに違いない。また、いくら焦ってみても、物事ままならぬことに気づくに迷いない。そういう時には、総ての思いを捨てて墓参をすることである。必ずや、時を経ると、ギクシャク
としたものが滑らかな形で動き出すことに気づくに違いない」
  これは、先祖を拝むことによって、拝む者自身が大きな功徳を受けるということである。ただ最近、間違ったことを説く人が多い。例えば、先祖をまつらないから先祖がたたっているのだとか、先祖の怨念によって、人生が狂ってしまったのだとかいうことである。
しかし、この説はまことに奇妙なことといわなければならない。親は子が可愛いし、ましてや孫というものは、これまた、ひとしお可愛いものである。
  たしかに、人間社会においては、親と子であっても争いがたえないこともあるが、人間であってみれば、心底親として子供が憎いはずもなく、可愛いものである。これと同じように、先祖は子孫が可愛いわけである。特に、この予孫が参ってくれれば、これほど嬉しいことはないわけである。
  だから、嬉しければ当然のこととして、子孫のために良かれと考え、そのような行動をとるはずである。恨むとかたたるということは、常識的にいって考えられないわけである。ただ、これら先祖の霊を粗末にしたり異常な形で放置しておくことは、宿命の中に異常な状態を発生せしめるということであり、通常でないということである。だから、祈るベき、愛されるベき子孫が、異常の状態の結果を異常な形で受けるわけである。従って、先祖供養というものは、心から子孫として叶った形で行なうことが肝要である。

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