大切なご先祖供養について、著書より紹介いたします。
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5七七日の追善供養

 人間は、過去から現在、そして未来ヘとつながる中に生きている。
仏教で三世という。そこで、人間が死ぬと、一般的には初七日から始まって二七日、Ξ七日、四七日、五七日、六七日と、七日毎に法事を行なう。これは、この世とあの世との間にある世界を中有と中陰と呼び、その期間が四十九日続くといわれるところから来たものである。この間に次の世界のどこに生まれるかが決定される。と信じられているのである。
 
 人間が死ねぱ体は灰になり、心の働きもなくなり、すべて空に帰するわけであるが、その人間の現世における行ない、即ち業というものは、この世に残っている。他人に及ぼした影響、築きあげた事業、考えた思想、皆これは業としてこの世に残りているわけである。その業の報いによって、死後、行く先々が決まると考えるのである。そして、それが七日毎に裁かれると信じられている。

 現世で畜生のような行ないをした者は、あの世では生道ヘ落ちるであろうし、この世で良き行ないをすれば極楽へ行ける、ということである。中有の世界において七日毎に審判をうけ、その先行きがきまるわけであるが、誰しも死後よい世界に生まれたいと思うのは当然のことである。

 ところが、死者は今さら現世において行なった行為を消すすぺもなく、審判官たる閻魔をご
まかすわけにはいかない。これらの行ないは、総て閻魔帳に記録されているわけである。もし
嘘をいえば、地獄に落ちて舌を抜かれるのである。

 そこで、為すすベもない死者に対して、残れた者が法事という善行を積むことによって、その功徳を死者に振り向け、閻魔帳に記録されている罪業を消滅させようということから始まりたのが、まず初七日の法要である。そして、この審判は七日目毎に七回続くとされ、従ってそれに応じて法事も七回行なわなければならないわけで、特に七七日忌とよぱれる四十九日に
は、最後の審判が下されるところから、ねんごろな法事が勤められなければならない、と考え
られているのである。

 地蔵菩薩本願経には「もし能く、さらに身死する後、七七日の内に広く諸々の善を作らぱ、よくこの諸々の衆生をして長く悪趣を離れ人生に生ずる事を得て、勝妙の楽を受けしめ、現在の巻属は利益無量なるべし」云々と説かれ、梵網経には「父母、兄弟、和尚、あじゃり、滅亡の日及び三七日至七七日、又大乗経律を講説し斉会して福を求むべし」とある。

いずれも、七七日の重要性を説いたものである。
 ところで仏教では、人間の体は五つの要素が集まってでき上がっていると説いている。五蘊ともいう。五蘊とは、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊の五つである。

色とは、白とか黒とかいう色ではなく、物質のことである。いわゆる人間の肉体のことである。
受とは、苦楽寺を感じる感情、感覚というべきものである。
想とは、五官を通して認識する知覚のことである。行とは、意識の集まりであり、心的作用というべきものである。識とは知識力である。人間の体は大きくわけると、肉体という色と、精神という心の二つということになる。

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